人間を取り巻く環境の急激な変化は、科学文明の発展と直接ぶつかる。特に、様々なメディアなどによる体験とその形式は、見慣れたものは実に短期間に置き換えられるが、これらの一連の認識方式の中心に私たちの「体」がある。
「身体は、すべての感性的総合が行われる出発点として、主体の感覚世界は、すべての主体の身体を中心に整えられるだろう。いわば主体のすべての知覚作用は、体が占めている今、この瞬間の時間と、ここ、この空間を中心に広がるだろう。「フッサール」と「メルロポンティ 知覚の現象学」、以南著、ハンギル社>
笑ったり泣いたり叫んだり、刻々と変化する気分に応じて千変万化する口の形は、鏡を見ていない以上、自分は見ることができない。見落としがちだが、ターゲットとのコミュニケーション手段として、口は非常に重要な身体器官である。愛と幸福の表現、その開始点であり、会話が通じないという感覚から、不特定多数の相手に気持ちを理解してほしい、というような苦しい心境を解消する口の形は私たちにとって身近な題材である。
このような観点から、「口」をテーゼとした作品は、絵がコミュニケーションの媒体であることを改めて認識させる。このように、ささやき、あるいは叫びをあげたり、一方では食べることが人生の重要なトレンドになる時代に、画面の口は私たちの自画像でもある。
画家 ソンソンミソ
ソンソンミソ作家は「私の仕事は、視聴覚、空間と時間、立体と平面などを一緒に身体知覚としての同時性を要求しようとする。これは急速に進化するメディア時代のニーズを代弁して満たそうと追求する独創的造形性」と明らかにした
△文=グォン・ドンチョル, 週間韓国2016年7月5日/(kwon dong chul, The Weekly Hankook)